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浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)249号 判決

原告

塩崎良文

右訴訟代理人

柳重雄

佐々木新一

被告

(浄土宗)念佛堂

右代表者清算人

柴山眞一郎

被告補助参加人

念仏堂

右代表者主管者

佐久間鎮雄

右訴訟代理人

遠藤順子

主文

原告の主位的請求を棄却する。

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地について、昭和二七年一一月一〇日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用中、補助参加によつて生じた部分は補助参加人の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  (主位的請求) 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地(以下「登記土地」という。)について、昭和二七年一一月一〇日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2  (予備的請求) 主文第二項と同旨

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

1  原告の主位的及び予備的請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は、かつて仏堂明細帳に登録されていた仏堂であり、独立仏堂又は境外仏堂と呼ばれ、法人格を認められていたが、宗教団体法(昭和一四年法律第七七号)三五条、同法施行令四一条により、昭和一七年三月末日の経過をもつて解散したものとみなされたものであり、その後、浦和地方裁判所昭和五六年(チ)第三号清算人選任事件によつて同年九月一八日弁護士柴山眞一郎が清算人に選任され、現在に至つている。

2  本件土地はもと被告の所有であつたが、興亜航機株式会社(昭和二〇年に埼玉産業株式会社に商号変更。以下「訴外会社」ともいう。)が昭和一九年三月ころ被告から同土地を買受けたのち、昭和二五年五月二一日の同会社の解散により清算人に就任した浅子長三郎(以下「浅子」という。)が農地解放を受けて同土地所有権を承継取得し、原告はその後昭和二七年一一月一〇日、浅子から埼玉県久喜市本町五丁目(旧久喜町大字久喜本字稲荷木)一六一番、一〇五七番所在の訴外会社所有の工場建物一切及び本件土地を代金合計五〇万円で買受けた。

3  (予備的請求原因) 仮に被告より訴外会社ないし浅子が順次本件土地所有権を承継取得したとの事実が認められないとしても、本件土地は訴外会社が昭和一九年三月ころから畑及び物置用地として使用していたものであるところ、原告は、同会社清算人の浅子から、昭和二六年ころより、本件土地等を買わないかと持ちかけられ、当初提示された代金額が高額であつたので一旦はその話を断つたが、その後も執拗に買受けてほしい旨要請され、本件土地については、同人が農地解放を受けて権利を有し、すぐにでも名義変更することができる旨説明を受けたので、それを信用して買受けることを決意し、前記のとおり昭和二七年一一月一〇日、右浅子から、本件土地等を代金合計五〇万円で買受け、契約締結と同時に、本件土地等の引渡を受け、善意無過失で自己の所有地であると信じて同土地の占有使用を開始し、以後現在に至るまで所有の意思をもつて平穏公然に占有を継続してきた。

したがつて、原告は、本件土地の占有を始めた昭和二七年一一月一〇日から、一〇年又は遅くとも二〇年の期間の経過により、本件土地所有権を時効取得した。

4  よつて、原告は被告に対し、本件土地について、主位的に昭和二七年一一月一〇日売買を原因とする所有権移転登記手続を、予備的に同日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をなすことを求める。

二  請求の原因に対する認否〈以下、省略〉

理由

一請求の原因1の事実及び同2のうち本件土地がもと被告の所有であつたとの事実はいずれも当事者間に争いがない。

二原告は、訴外会社が昭和一九年三月ころ被告から本件土地を買受け、次いで浅子が農地解放により同土地所有権を取得した旨主張(請求の原因2)し、原告本人尋問の結果中には右主張に副う供述部分があるけれども、成立に争いのない甲第六ないし一〇号証によつてはそれを裏付けるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三そこで、予備的請求の原因(時効取得)について判断する。

前記当事者間に争いのない事実、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

1  被告は、宗教団体法(昭和一四年法律第七七号)が施行された昭和一五年四月一日より前、仏堂明細帳に登録されていた仏堂で、寺院と同様、法人格を認められていたが、同法三五条、同法施行令(昭和一四年勅令第八五六号)四一条により、昭和一七年四月一日をもつて解散したものとみなされたが、清算手続はなされず、その後ようやく請求の原因1記載の清算人選任事件によつて柴山眞一郎弁護士が清算人に選任され、清算手続が開始された。

被告は、阿弥陀如来を本尊とし、(浄土宗)念佛堂と呼ばれているが、寺院とは異なり、仏堂として一定の宗派に属さず、浄土宗に所属するものではない。

被告には、かつて僧侶(受持僧侶)がいたこともあつたが、相当以前に死に絶え、その後は堂宇のある場所付近の有力者である武笠福太郎、同人死亡ののちは武笠朝之輔らが世話役として事実上被告の財産の管理、維持にあたつてきた。

補助参加人は、昭和四九年一〇月、正観世音菩薩を本尊として奉祀し、儀式行事を行うこと等を目的として、光明寺住職佐久間鎮雄が主管者となつて創立された権利能力なき社団であり、被告とは別異の存在である。

2  被告は堂宇のある境内の土地を所有しているほか、もと本件土地(なお、昭和四八年二月一日の地番変更前の旧表示は南埼玉郡久喜町大字久喜本字稲荷木一四五番)外一筆位の土地を所有していた。なお、本件土地は不動産登記簿の表題部上、所有者として念佛堂持と記載されているが、被告名義の権利の登記はされていない。

3  本件土地は、別紙図面表示のとおり、榎本善兵衛所有の久喜市本町五丁目(旧表示南埼玉郡久喜町大字久喜本字稲荷木)一六一番の土地の北側にある野村行雄所有の同所一〇五七番の北側に隣接した場所に所在しているところ、昭和一九年三月ころに設立され、製麺、製粉等を業としていた訴外会社が右一六一番、一〇五七番の両土地を各地主から賃借し、同図面表示のように同土地上に工場、倉庫及び物置を所有使用していたほか、本件土地上の同図面表示の場所辺りにも物置を所有していたものであり、その後、昭和二五年五月ころ同会社が解散したのちも同様の状態が継続し、清算人に就任した浅子が本件土地の宅地で野菜作りなどの耕作をしたこともあつた。ただし、訴外会社ないし浅子が本件土地所有権を取得した事実は認め難いこと前叙のとおりであり、同会社ないし浅子が本件土地を使用していた権原の有無、内容は詳らかでない。

4  一方、原告は、昭和二二年ころから本件土地の付近で乾物屋を営んでいたが、その後、乾物屋を妻に任せて自らは米穀商を始め、昭和二五年ころ訴外会社から前記倉庫を賃借し、浅子と知り合つた。

5  原告は、昭和二六年ころ、浅子から、前記一六一番、一〇五七番の土地に対する借地権付きで、右両土地上の倉庫、工場、物置等の上物一切及び本件土地、同土地上の物置を買受けてほしい旨求められたが、当初提示された代金額が六〇万円と高額であつたため、一旦は右要求を断つたが、昭和二七年になつて五〇万円で買つてほしい旨懇請されたので、買受けることにし、同年一一月一〇日、同人との間に、右借地権付きで、借地権譲渡につき各地主の承諾を得たうえ、右借地上の上物一切及び本件土地、同土地上の物置を代金合計五〇万円で買受ける旨の契約を締結し、同日に内金二五万円、昭和二八年三月三一日に中間金二四万円をそれぞれ浅子に支払つた。なお、残金一万円は原告に対する所有権移転登記と引換に支払する約定であつたため、原告は現在までその支払を差し控えている。

原告は、右売買契約締結の当時、本件土地の登記簿上の所有名義人が訴外会社ないし浅子ではなく、被告である念佛堂となつていたことを知つていたものであるが、契約締結に至るまでの浅子の言によれば、本件土地は同人が農地解放によりその所有権を取得したもので、名義書換に必要な書類をも保持しているということであつたことなどから同土地は浅子の所有であると信じ、他方、当時原告は農業を営んでいたものではなかつたけれども、買受後、二年位自ら同土地の耕作を続けていれば所定の手続を経て自己宛に所有権移転登記をしてもらえるものと考え、前記のとおり浅子との間に前記売買契約を締結した。

6  原告は、前記売買契約締結後、直ちに本件土地を含む前記売買物件の引渡を受け、前記工場を使い始めたほか、本件土地上にあつた物置を撤去し、同土地全体を畑地にし、麦を植えたり、野菜を作つたりして耕作し始め、その後昭和三八年に同土地の一部に子供部屋のための住宅を建築し、昭和四三年に残余の一部を建物所有の目的で小坂橋昇に賃貸し、同人により建物が建築され、本件土地は宅地化され、現在に至つている。

原告が本件土地を買受けたのち、原告以外の第三者が同土地を耕作したことはなく、原告による耕作、使用に対し、他より抗議や苦情が寄せられたこともない。

7  原告は、本件土地買受後、現在に至るまで同土地に対する固定資産税等の公租公課を支払つてきており、その間の税務当局発行の領収証書を保有している。

原告保有の右領収証書の一部(昭和四七年度までのもの)には納税義務者として興亜航機株式会社の名称が記載され、原告の氏名が記載されていないけれども、これは当時まで課税台帳上、右会社が納税者と記載されていたかたわら、原告名義に所有権移転登記がなされていないことによる必然的結果で、右会社の所有であることを確定させるものではなく、また昭和四八年度以降のものには原告が被告の納税管理人である旨記載されており、これは土地台帳上、被告が所有者で、原告が納税管理人として記載されていることに基づくものであるが、原告が被告の信徒なので、被告の代表者ないし管理人として納税したことはなく、右記載は税務当局による徴税便宜上の措置により右のように表示されているにすぎなく、原告が本件土地を自己の所有地と信じていたことを否定するものではない。

前記のとおり、被告の財産は、相当以前より、事実上、世話役の武笠福太郎や武笠朝之輔らが管理にあたつてきたが、本件土地は同人らが管理していた被告の財産の中に含まれず、同人らが本件土地の公租公課を支払つたりしたことはない(原告の妻が昭和四二年五月ころ、本件土地のことに関し武笠朝之輔方に同人を訪ねたことがあつたが、その際、原告の妻が本件土地を原告に売つてほしい旨申し述べたとか、あるいは、昭和五二年ころ原告自身が本件土地は被告の所有地であると思つている旨申し述べたとかの補助参加人主張の事実はいずれもこれを窺い知るに足りる確たる証拠がない。)。

以上の事実が認められ、証人武笠とみのの証言中、右認定に反する供述部分は前掲各証拠に照らし措信し難たく、他に右認定を左右すべき証拠はない。

そうして、右認定事実によれば、原告は、昭和二七年一一月一〇日以降現在に至るまで、所有の意思をもつて善意平穏公然と本件土地の占有を続けてきたものであり、かつ、その占有の始めにおいて、同土地を自己の所有地であると信じたことにつき過失もなかつたものであると認められる。

したがつて、原告は、昭和二七年一一月一〇日以降一〇年の経過により本件土地所有権を時効により取得したものである。

それ故、被告は原告に対し、本件土地について、昭和二七年一一月一〇日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をなす義務があるというべきである。

四よつて、原告の主位的請求は理由がないからこれを棄却するが、予備的請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九四条後段、九二条但書、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(榎本克巳)

物件目標

埼玉県久喜市本町五丁目一四五番

畑 七〇四平方メートル

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